カフェで韓国語 CAFE-COREA通信 -3ページ目

キム・ジナさんにインタビュー

ぷち韓国語 写真は韓国語教材「ぷち韓国語」の表紙です。

この教材の著者の1人で、NHK教育テレビのハングル講座に
講師として出演中のキム・ジナさん。

昨日東京外国語大学朝鮮語専攻の野間秀樹先生の研究室で
インタビューをすることができました。

テレビで見た印象そのままの、やわらかく優しい笑顔で、
質問に一つ一つ丁寧に答えてくださり、非常に感激いたしました。

また、韓国語教育に対する熱意の感じられる姿勢に、
昨年まで学問の場にいた立場から、見習うべき点が多いと感じました。

インタビューの方は今後、ページの方にアップする予定です。

お楽しみに!

昨日は冷麺を食べました!

ヨロブン、アンニョンハセヨ★

昨日は二子玉川のデパ地下でビビン冷麺を食べました。
本当においしかったです!!

冷麺はやはりハムフン冷麺がおいしいといわれています。

reimen



たまに日本で冷麺を注文して
ほとんど蕎麦?みたいなものが出てくると
衝撃を受けてしまいますが、私は文句が言えませんので
おとなしくいただきます・・・()。

本当に好きなのはビビン冷麺ではなく、
フェ(刺身)冷麺です。

ホンオ(エイ)の刺身ですね~。
それが冷麺にのっているのですが、もうこれは韓国に行くたびに
絶対といっていいほど食べています。

これを食べないと生きていけないんですよ…。
コリコリっとした食感がたまらない!!

私は辛い+すっきりしたこの冷麺を食べると
韓国にきてよかったなぁと思うのです。
日本ではまだ一度も食べたことがないです。

ずっと探しているのですが、もしご存知の方が
いらっしゃいましたら、ご一報ください。
よろしくお願いします!

クォン・サンウにイ・ビョンホン

アンニョンハセヨ!

今朝のめざましTVでおちゃめに歌い踊る
クォン・サンウさんを見ました。

いかん!輝いて見える!

ミーハーではない私ですが
(ファンの皆様、ミーハー扱いして済みません)
世間からだいぶ遅れて、韓流に感染した模様です…。

韓国で暮らしていた時は、周りの人の様に韓国芸能人を
普通になんとなく好きで毎日見てました。

ところが、日本に帰ってきて
いざ韓国ブームが到来している時に、
私はあまりにも驚いて逆に沈黙していました。

そういえば、イ・ビョンホンさんにしろ
今度携帯の宣伝に出るじゃないですか…。

何か韓国で見ていたときとは違う
「高級な輝き」が見えるような見えないような。
大活躍している姿がとても嬉しいです。


余談ですが「クォン・サンウ」と書くのに
ハングルだと3回で済むものをカタカナだと
こんなにも羅列しなきゃいけないので、最近しんどいです…(

ビョン様しかりです(大泣)。

今日は韓国の芸能人に絡めて日記を書きましたが、
スタッフブログの「MIYAの誰も知らない韓国」では
取材して欲しい韓国芸能人の募集をしています!

こちらもご覧くださいね★
http://blog.livedoor.jp/cafe_miya/archives/26021511.html

よろしくお願いします。


韓国の過去と現在。

南原社長のコラム(インタビュー?)が展開中ということもあり、
ちょっと昔の話を思い出しました。

ソウルオリンピックが開催された翌年の89年に、
4泊5日で釜山に行きました。

私の父が単身赴任族(こんな言葉があるのかは分かりませんが)で、
最後の赴任の地が、釜山の西に位置する慶尚南道馬山市でした。

その父が、赴任期間を終え、日本に帰国する直前、
家族旅行で釜山に行ったのです。

思えば、それが私と韓国の出会いでした。

大都市がどこも雑然としているのは当たり前のことですが、
当時の釜山は経済成長の真っ只中。とにかくごみごみしていました。

今考えれば南浦洞だと分かるその地域も、あちこちで工事が行われ、
多少の埃っぽさと、そこを歩く軍人の姿が、そしてホテルの前の市場(チャガルチ市場)
から発せられる強烈な生臭さが、幼いながらの記憶として残っています。

現在はきれいに整備された、南浦洞の地下商店街も、当時はまだ工事中。
そこに、物乞いをしている子供が多く見られました。

毎日を生きるために、ギラギラした眼差しを持ったその子達と同年代だった私は
日本では見たことのなかった光景に、驚きと不安感を感じたものでした。


その後、私が南浦洞を訪れたのは11年後。
高級ホテルに見えた当時宿泊したホテルは
ずいぶんと古びた感じになっていました。

しかし、その周りは驚くほどきれいになり、
チャガルチ市場の強烈な異臭もそれほど感じられませんでした。

毎日を生きるのに精一杯の、若干の狂気をも感じさせるような眼差しを持った
物乞いの子供たちの姿も、まったく見られませんでした。

たった10年そこそこでそこまでの変化を見せた釜山。
しかし、人々の心には昔ながらの暖かさが残っていると思いました。

釜山で友人を通じてであった方が
「せっかく日本から来てくれたのに、釜山を存分に楽しんでもらわなければ
我々としても寂しい。気兼ねせずに、思いっきり羽を伸ばしてください」と
言ってくださったことは忘れられません。


韓国は変化のスピードが速い国です。
しかし、その中にあっても変わらないものがありました。

釜山は数多く回った韓国の都市の中で、別格中の別格と言っていいくらい、
私にとって特別な町です。
そこに住む人々の暖かさが、これからもずっとなくならなければいいと思っています。

これはチゲです!

アンニョンハセヨ★

昨日、テーブルファクトリーの川淵智子さんに
インタビューする機会がありまして、
韓国の外食産業にも触れてくださいました。

そこで韓国の食に関して私は気になることが一つあります。
それは韓国料理の名前です。

韓国の家庭料理を私は誰から習うわけでもなく、
見よう見まねで作っています。
韓国の人に食べてもらって、「美味しい!次も作って」といえば合格です。

私にとって中身に何が入ろうが、ある料理として成立するならば
それはチゲ(鍋)であり、ポックム(炒め物)なわけです。

nabe 家庭料理とは私の中では名前がありません。

私の中ではスープベースの鍋は「チゲ」ですが
どうも韓国の人はそうアバウトではないようなのです。

私はよくコドゥンオ(サバ)をチゲにいれます。
エホバク(韓国カボチャ)やタングン(人参)、
カムジャ(じゃがいも)やヤンパ(タマネギ)を入れるんです。

そして結局はネギやキムチや何やら
ある物全部いれて煮たせます。

ところが、その日はいそいで帰って材料がなくて、
タングンとネギしかありませんでした。
それを見た主人が「コドゥンオチム」(サバの蒸し煮)だね、
美味しそうだねというんです。

いやいや、蒸してないよ。
チム(蒸し煮)じゃないよ、チゲだよと言っても
チム!!と言い張るんです。

確かに具がなさすぎですが
立派にダシも取って、チゲの作り方なんです。

主人いわく、
「チゲはそんなに具は少なくない。カムジャもない、ヤンパもない」。
「もっとスープをとばしてヤンニョム(味付け)してチムにして。」

ケランチム(韓国風茶碗蒸し)なら
蒸してるというでしょうが・・・。


それならば、チゲはスープさえ飛ばせば
チムになるのか?!
私はそんなことを頭の中でぐるぐる考えていました。

これは煮てるんだけどなぁ…チゲにしたかったなぁ…と
年下妻は口答えはせずに、はいはいと「チム」にした次第です。


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それから2年あまりが経ちますが
なんとなくこれは「チゲ」これは「チム」と
区別が付くようになりました。

慣れとは怖いものです。

慣れる前に徹底分析すればよかったかなと
思います。

「チゲ」と「チム」の根本的な違いを
誰か私に言葉で説明してくれる方がいらっしゃったら
メールください。(笑)

よろしくお願いします!